好きなもので語れって聞こえはいいけど気持ち悪く感じるのはこれだよな〜。そもそも生活の中で日々取捨選択をしている以上何かしら比較し(優先)順位や上下を行動自体でもつけているしその自然の流れを定めてかつ好き嫌いの軸に持っていくのは違和感がある。
気の合う友人が欲しいなら好きなものより嫌いなもので見る方が良いって話もあるしな
うーん、てかやっぱりしっくりこないな。短所(?)=嫌いみたいな話になるのも気持ち悪いしそんな短所長所・好き嫌いなんて域に収めて話をしているわけでも無いしな大抵。
そんな好き嫌いだとか善悪みたいな話してない時にしこしこ出して来がちなのは原因として大きいだろなあ。
そういや偽善の使われ方がザツ過ぎて微妙に使いにくくなってきたな。千羽鶴や不用品送りつけみたいな善意による悪をそう呼ぶつもりだったのが〜よりやる偽善とかいう気持ちよさ重視のそれこそ偽善らしい自惚れオナ句と普通に善らしいものへのレッテル貼りでも使われているせいでもう〜滅茶苦茶や。
うーん言葉で定める以上は、なあ〜。けっきょくお互いに相手の意図を、意図を読み取ってコミュニケーションすればいいだけなんだけどね、文字だけの場合は特に。そうで無く言葉自体が主役になるような時はやたら息苦しく感じる。